「八尾の鶯。」~“やお”の暗号~|NIPPON NOWコラム日本の伝統行事。季節の風物詩、旬のものや地域を伝える。NIPPON NOW

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マニアな旅・散策

2017.08.18

「八尾の鶯。」~“やお”の暗号~

「契りおきてここにぞきかん鶯の八尾のつばさ八千とせの声」

三条西 公条(さんじょうにし きんえだ)という貴族が残した『吉野詣記』に記されている「大阪府 八尾市」の地名の由来とされている和歌です。
実際には、八尾(やお)という地名がいちばん古く記録として残っているのは、皇紀千七百一年、長久二年(西暦千四十一年)の矢作神社文書(やはぎじんじゃもんじょ)の「河内国若江郡八尾八幡掃部別宮」です。

三条西 公条氏とはどういう人物なのでしょうか。父 実隆(さねたか)から『源氏物語』の奥義を継承し、『明星抄(みょうじょうしょう)』などの注釈を表した他、とあります。
明星抄とは、源氏物語の注釈書なのですが、『源氏物語』の奥義って現代人には分からない、いにしえの帝王学のようなものだったのでしょうか、古典の娯楽小説のように思っていたのですが勉強しなおしたくなってしまいます。
法名は仍覚、謚を称名院。仕えて正二位右大臣に至り、出家後は諸国を遍歴し、詩歌吟詠の生活を送ります。
皇紀二千二百十三年、天文(てんぶん)二十二年(西暦千五百五十三年)の春に、三条西公条卿は吉野の金峰山寺(きんぶせんじ)へお詣りに向かう道すがら、八尾木の金剛蓮華寺に立ち寄りました。その折り、里の村人から「世間でよくある鶯は尾が十二枚だけれども、このあたりの鶯は尾っぽの羽根が八枚かさねだから、美しい声で鳴くと言われている」と聞き、さっそく「契りおきてここにぞきかん鶯の八尾のつばさ八千とせの声」と詠んだそうです。
「約束しておきます(約束しておいた)、ここぞという時に、聴きますよ。八尾のつばさ、八千も十歳も、長い長い間啼きつづける鶯の声を。」と言う意味になるのでしょか?
その後、永禄六年(西暦千五百六十三年)、七十七歳で歿します。
よく似た話が江戸期の『和漢三才図絵』などにもあり、「この鶯が西郷の谷小路でさえずり、その宿る木を八尾木という」とあります。もとは八尾木の言い伝えであったものが、八尾の地名の物語に変っていったのだと『八尾市史』には記されています。
本当のところを確かめる事は今はもう出来ませんが、五百年以上も昔に、どうして八つの尾を持つ鶯などという言い伝えが出来上がったのか、隠れた事情に興味がそそられます。

八尾という地名の起りについては、以前から、さまざまな説が唱えられています。
一つめは、古代、八尾の地には、大豪族物部氏(だいごうぞく、もののべし)の家来で弓矢をつくる仕事をしていた矢作部や弓削部(ゆげうじべ)が暮らしていたことから、「矢負い」という言葉(矢は背に負うものであるため)が生まれ、本来の発音がなまって変化して、「やを」になり「八尾」という漢字があてられるようになったというものです。

次の説は、奈良時代の皇紀千四百二十七年、神護景雲(じんごけいうん)三年(西暦七百六十九年)高僧である弓削道鏡とともにかかわりの深い話しで、称徳天皇のご指示により、この河内国 若江郡の一帯に平城京に対しての「西の京」としての由義宮(ゆげのみや)が造營されることとなりました。
由義宮は、大県(柏原市)、若狭(東大阪市)、高安(八尾市)の三郡にまたがる大規模なものが予定されましたが、称徳天皇の崩御により、計画は白紙となりました。
その時どうしても必要とされ行なわれた、古大和川(長瀬川)の治水工事のため、川沿いにたくさんの丸太を打ち込んで堤を築こうとしました。見渡す限り丸太の林を見た当時の人々は、「八百(やお)の木」だと云ったのです。たくさんの数を表すのに、昔は「八百」と云いました。西の京は造營されずに終ったものの、大築堤工事のおかげで、この辺り一帯は、春になれば鶯のさえずる豊かな農業を中心にした地域となりました。
由義宮とそれにまつわる道鏡ら弓削一族の屋敷の跡地や、氏寺の弓削寺など、さまざまな墓,祭祀の場,道路など,そのほか水田,畑,牧場,漁場,狩場など生産に直接かかわるもの,窯跡,精錬址のような道具の生産にかかわった場,不要なものを捨てた場など人間の暮しに関する種々のものは、現在も発見されておりません。
かくして八百の木は、八つの尾を持つ鶯に、本来の発音がなまって変化して、八尾の地名伝説として語り継がれていったというものです。

  • 左)八尾市観光案内所でのみ販売されていた、オリジナルの年賀はがき
  • 右)

一方、この土地の形状から、アイヌ語の「ヤッオ」という湿地帯を表す語が使われたはずだという説があります。この他にも、低湿地を意味する古語である「矢野」・「谷野」が「やのー」・「やのお」となり「やお」になったという説、信貴生駒連峰(しぎいこまれんぽう)の八つの山々の景色に起因するといった話もあります。
古い文書に「弓削」や「矢作」はあっても「八尾」が見当たりません。皇紀千六百六十年、長保(ちょうほう)二年(西暦1千年)以降の文書を見ると「矢尾」「矢生」「箭尾」「八尾」などと記されています。おそらく「やお」という発音をする地名があって、それぞれの思い思いの漢字を当てたのではないかと思いを巡らせています。いろいろ好き勝手な想像をしてみるのが、伝承を知るたのしみなのではないかなと考えています。
地名というものが、遠いご祖先さまの營みや意識を映し出する事によって生み出された大切な宝物であることを思う時、どの言い伝えも今を生きている私たちに語りかけているものだと言えるのでしょう。

掲載情報は2017年8月18日の公開時の情報となります。
公開時と掲載内容が異なる場合がありますので、詳細につきましては直接お問い合わせください。

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